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    カテゴリ: 社会



    1 樽悶 ★ :2018/08/14(火) 23:54:02.85

    ※総踊りスレ
    海軍主流の永野修身は、対米開戦派の中核となった

    (出典 amd.c.yimg.jp)


     1945年の太平洋戦争終結から、平成最後の夏となるこの8月で、73年を経た。現在でも残る疑問のひとつは、明らかな国力差にも関わらず、なぜ当時の指導者層が日米戦に踏み切ったかだ。陸軍の暴走に政府、海軍、宮中、さらに世論までが引きずられていったかのようにも映る。しかし早期開戦を主張し続けたのは、実は海軍主流派だった。

    大臣・総長・司令長官を歴任したエリート

     森山優・静岡県立大教授は「昭和史講義 軍人編」(ちくま新書)の中で、海軍主流派の行動は「それなりに論理的整合性が高い」と分析する。それがなぜ「全海軍を失う結果」(森山教授)に終わったのか。海軍の挫折は、急変する経営環境に対応していかなければならない現代企業にも、多くの教訓を与えてくれそうだ。

     真珠湾攻撃の山本五十六・連合艦隊司令長官や終戦時の米内光政海相に比べ知名度は劣るものの、海軍で主流派中の主流といえば永野修身(1880~1947)軍令部総長の右に出る軍人はいない。海軍における最高ポストは軍令部総長(統帥)、海軍大臣(軍政)、連合艦隊司令長官(艦隊)の3つ。森山教授は「70年を越える海軍の歴史で3ポストを歴任したのは永野だけ」と指摘する。昭和期に皇族を除いて唯一、生前に元帥にまで昇進したエリート中のエリートだ。

     屈託がなくて侠気があり、秀才型官僚軍人とは一線を画していたという。頭脳明晰(めいせき)で「自称天才居士」と言われるほどの自信家でもあった。海軍兵学校長時代には改革派として「従来の一方通行の暗記型から自学自習を旨とする米国流のダルトン・プランを導入した」(森山教授)。その永野が41年4月に軍令部総長に就任すると、海軍中堅層とともに対米開戦派の中核となった。

     当時の第2次近衛文麿内閣は37年から始まった日中戦争が長期化し、中国に同情的な米国との関係も悪化していた。41年6月には独ソ戦が開始。7月には第3次近衛内閣を発足させて対米関係の改善に取り組むが、同月の仏領インドシナ南部進駐が米国の反発を呼び、8月の全面禁輸を招いてしまった。森山氏は「「米国の大きな反発はないと思って進駐を進めた陸海軍の軍人のほとんどが、米国の強硬姿勢に驚愕(きょうがく)した」と指摘する。

    「戦機は今、3年後は不明」

    永野は昭和天皇に対米早期開戦を進言した。これは及川古志郎海相ら他の海軍首脳部にとって予想外のハプニングだった。それまで陸軍がソ連(当時)を、海軍は米国を仮想敵国として軍需予算を獲得してきたが「対米戦、とくに長期戦を戦う実力がないことは海軍首脳部や戦備の実態を把握している現場の将官たちの共通認識だった」と森山教授。さらに日米交渉における一番のポイントは中国本土からの撤兵問題だ。森山教授は「撤兵問題で日米が戦うのは愚かなことだという考えで海軍は一致していた」と言う。

     永野はなぜ早期開戦を主張したのか。米国から石油の供給が止まれば平和時2年、戦時1年半しか貯蔵がないため「日米間の軍事力の差が広がる前の有利なうちに、戦争した方がよいという考えだった」(森山教授)。

     昭和天皇から日本海海戦のような大勝利は難しいであろうと尋ねられると、永野は「勝ち得るや否やもおぼつかなし」と答えて天皇を驚かせたという。天皇側近の木戸幸一内大臣らは「あまりに単純」「捨てばちの戦い」と冷淡に批評した。多くの指導者層が木戸と同じく永野の主張を聞き流した。

     当時の日本は宮中、内閣、陸海軍らがそれぞれに組織利害を主張する分権的な政治体制だった。対米戦までの約1年半で、実に10回もの「国策要綱」が策定されている。激動する国際情勢に臨機応変に対応しようとしていたとみることもできるが「両論併記と決定を先送りする『非決定』が行われていた」と森山教授は分析する。

     日米首脳会談での解決に望みをかけていた近衛首相は米国側の会談拒否にあい、10月に退陣。代わった東条英機内閣は、昭和天皇の意をくんで外交と戦争準備を並行させる方針をいったんは白紙還元したが、結局は外交を打ち切って戦争へ向かっていった。

     永野は重要な会議で「戦機は今、3年後は不明」「英米を屈服させる手段は無い。結局は国際情勢の変化と国民の精神力による」などと繰り返した。海軍自体も艦隊がすぐに戦争できるように「出師準備」を8月に開始した。

    全くブレなかった永野の早期開戦論

    (続きはソース)

    8/13(月) 12:31配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180813-00010000-nkbizgate-bus_all




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    1 砂漠のマスカレード ★ :2018/08/15(水) 05:22:31.75

    「生涯未婚率」。
    国の重要課題である少子化問題を語る際に挙げられることが多いこの指数だが、この20年ほどの間に、男女間で約10ポイントもの大差がついている。なぜなのか……。
    結婚をめぐる男女“格差”のナゾを、ニッセイ基礎研究所の天野馨南子氏が読み解く。

    「50歳結婚歴なし」が激増
     統計上の「生涯未婚率」とは、「調査年に50歳の男女のうち結婚歴がない人の割合」を指す。この数字が、1990年の調査以降、急増傾向にある。
    2015年の国勢調査では50歳男性の23.4%、50歳女性の14.1%に一度も結婚歴がなかった。
    なお、90年には、男性5.6%、女性4.3%と、差はほとんどなかった。

    「生涯未婚率」男性が圧倒的に高いワケ

    生涯未婚率の上昇は、少子化にも影響しているといわれる。

    日本社会の深刻な課題の一つである少子化は、日本人女性の合計特殊出生率(TFR:既婚、未婚を問わず、1人の女性が一生に産む子どもの数)で説明されることが多い。
    その数値はやや回復傾向にあったものの、1.5の「壁」を超えることはなく、16年以降は再び減少に転じている。

    そして、現在と同程度の人口の維持に必要とされる値である「2」との間には開きがある。
    TFRは15年時点で1.45。一方、初婚の男女同士の夫婦が最終的に持つ子どもの数である「完結出生児数」は15年の調査で1.94。
    晩婚化などでゆるやかに減少してはいるものの、ここ30年間、「2」前後をキープしているのだ。

    この二つの数字の「ギャップ」が、「結婚歴のない男女の増加(未婚化)」が少子化に大きく影響していると考えられる理由だ。
    男女の関係は多様化しつつあるといえど、結婚せずに子供を持つ「婚外子」の比率が長年、2%台で横ばいとなっていることからもわかる。

    ところで、生涯未婚率の算定年齢を「50歳」としているのは、50歳を過ぎてから初めて結婚する人の割合、実数がともに統計的に小さいからだ。

    「いや、自分の周りには50歳を過ぎて結婚した人が結構いる」と感じる人もいるかもしれない。
    それは、再婚者を含む結婚ということではないだろうか。
    離婚や死別を経験した人が50歳を過ぎて結婚した場合は、生涯未婚率には全く影響しないので、実感との「ズレ」が生じるのかもしれない

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180813-00010000-yomonline-bus_all
    8/13(月) 7:11配信


    (出典 www.yomiuri.co.jp)


    (出典 amd.c.yimg.jp)


    (出典 amd.c.yimg.jp)





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    (出典 www.upon.co.jp)



    1 名無しさん@おーぷん :2018/08/13(月)18:21:04 ID:SSY

    徳島市長が中止を命じた阿波おどり「総踊り」を13日夜に決行へ 「踊る阿呆は政治権力に屈しない」と協会理事長
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180813-00000007-sasahi-soci





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